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2025.11.08 05:46

ようななにか

 さて、予想はしてたけど、やっぱりか、っていう感じです。わたしは若い頃から勉強好きでした。学校の先生の授業が薄っぺらく感じられてまじめに授業は受けていませんでした。特に数学や物理は面白くなく、自分で独学しておりました。今から思えば集合論や無限論、相対性理論の芽吹きを感じています。もったいないなと思います。それこそタイムマシンに乗って昔の自分に話しかけてやりたいと思います。そのころ、どの分野も分からないことだらけで、それなりの学校の先生でしたので、質問をしたことがあります。あるとき物理の先生に、今から思えば相対性理論の芽吹きに関しての質問をしたことがありまして、そのとき先生は分厚い広辞苑並みの物理の本を渡してくれました。なんだ、自分でしろっていうことか、と思いました。質問の答えが分からないなら、なんでわからないのかくらいのヒントは教えてもらいたかった。他の科目の先生もみんな同じで、分厚い本を渡してくれるのみでした。やっぱ自分でするしかないんだよね。いま、歳いって自分が質問を受ける立場になったが、若い人から質問を受けたときには、それが高度な質問であったら、人間がその質問に答えられないわけを、そのわけくらいは話して差し上げることにしています。ま、そんな質問を待ち構えているのですが、若い人はそれなりに賢いんでしょうね、皮肉ではなくて直観的に分かっているのでしょう。ダサイとかジジクサイとか、言葉はぶっきらぼうですが、それなりに的をついた正解に思えます。
 さてさて、時間論については、私はカルロの「時間はない」は正解だと思います。ごじゃごじゃ難しいことを言ってごまかしているだけだと一般には思われるでしょうが、はっきり言って普通の物理学者にはもはや常識のレベルになっているようです。そんなバカなと普通の人々には思われて白い目で見られるでしょうが、物理学者にとってはイロハのイくらいになっているようです。じゃ、時間の本性、本体は何かズバリ言ってみ、と問うと、なにか、と答えます、彼らは。なにか、って何でしょうね、ある人は超弦理論、ループ量子論、ブレイン宇宙論、って答えています。でも、よくよくそれらの答えを聞いてみると、結局は、弦のようななにか、ループ量子のようなにか、ブレイン宇宙のようななにか、つまり「なにか」なんです。そのなにかを普通の人々は「じかん」と呼んでいるわけです。その差は「なにか」と「じかん」の差ですね、同ものを指さしているようです。
 さてさて、わたしはこの時間論争から離れて例のハードプロビレム、物が心を作る仕組みに移っています。時間論争がいい跳躍台になっています。いい練習になっています。
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