2025.09.14 01:51
お風呂とダーウィン
熱い冷たいとは、その物を作っている無数の粒がせわしなく動いているかどうかの差であって、熱素とかのような熱そのものの実体があるわけではない。せわしなく構成要素の無数の粒が動いているかどうかの差なのである。せわしなく動いているなら人間はその動きを熱いと感じ、粒ちゃんたちがおとなしいときには、そのおとなしい動きを直接おとなしい粒ちゃんたちと感じるのではなく、温度の感覚で冷たいと感じているのである。つまり、客観的に熱い冷たいは存在しておらず、客観的に存在する動きというものを、粒(水分子)の一個一個の早い遅いを観察するのが面倒なので、まとめてこの水は冷たいとか、この水は熱い、お湯やんかと瞬時に判断するからである。そうしないと、人間は生きていけない。水分子の粒子一個一個の動きの早い遅いを察し終えるまではお風呂に入らないというのであれば、人は一生お風呂には入れないだろう。お風呂にちゃんと入れる人間だけが生き残っているのである。ダーウィンさんがそう言っておられますね。
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