2026.08.24 04:45
まばゆいふるさと
時間は存在するか、なんてことを今でも考えている。なんてバカバカかしいんだろ。もっともだ。物理学のむずかしげな用語も使いたくない。率直に普通の言葉で書きたい。
芸術家はその点ステキだ。わからないことを率直に表現している。それで全力を尽くしている。分かってもらえるかどうかは度返し。私にはその芸術家の力量がなく女々しくむずかしげな言葉を尽くしてジタバタしているわけである。そしてむずかしげな言葉を駆使してどうにかなるものでもなさそうなので、とつとつと話しかけるしかないのである。
で、またわけのわからぬたわごとを。哲学や物理を通して、また人文(法律や社会学など)をとおして、ずばり真実とか、客観とかを芸術家のように表現してみたい。
でね、動物行動学の本なんか読んでるとね、人間とは違う、色、色彩があるようなんだ。たとえばカラス、あの黒々としたカラス。カラスはどうやら自分たちカラスを黒ぐろとしたかたまりとは見ていないようなんだ。たとえばシマウマのように見えているようなんだ。物理器具(周波数を変調する)なんかを駆使して、そんなふうに学者(動物行動学者)は観察している。でね、カラスはそのシマウマ的な縞模様を見て、人それぞれ、いやカラスそれぞれを識別しているようなんだ。おはよう、熊さん、おはよう、はっつあん、なんてね。カラスが見ている世界は僕たちが知っている世界とは異なる。どっちが客観的に存在する世界なんかね。わたしが死んだ翌朝に存在する世界はどっちなんだ。客観的に存在する香しい、恋焦がれる、愛おしい、圧倒する眩い色彩に満ちたふるさと、客観的世界はどっちなんだ。
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