2025.09.14 01:51
お風呂とダーウィン
熱い冷たいとは、その物を作っている無数の粒がせわしなく動いているかどうかの差であって、熱素とかのような熱そのものの実態があるわけではない。せわしなく構成要素の無数の粒が動いているかどうかの差なのである。せわしなく動いているなら人間はその動きを熱いと感じ、粒ちゃんたちがおとなしいときには、そのおとなしい動きを直接おとなしい粒ちゃんたちと感じるのではなく、温度の感覚で冷たいと感じているのである。つまり、客観的に熱い冷たいは存在しておらず、客観的に存在する動きというものを、粒(水分子)の一個一個の早い遅いを解釈するのが面倒なので、まとめてこの水は冷たいとか、この水は熱い、お湯やんかと瞬時に判断するからである。そうしないと、人間は生きていけない。水分子の粒子一個一個の動きを早い遅いと認識するまではお風呂に入らないというのであれば、人は一生お風呂には入れないだろう。お風呂にちゃんと入れる人間だけが生き残っているのである。ダーウィンさんがそう言っておられますね。
2025.09.13 07:34
マイラバ
私が動いているなら、あなたにぶつかる可能性がある。あなたも動いているなら私にぶつかる可能性がある。二人がじっとして今いるところから動かないなら、私とあなたがぶつかることはない、衝突可能性、衝突確率はゼロです。少なくともどちらかが動いているなら、衝突確率が現実化してぶつかるときがある。そのとき私の動きは若干弱まり、ぶつかられたあなたはその分若干動き出す。これが熱移動の正体であり、われわれが時間を、宇宙時間を直観する瞬間です。カルロや朝永振一郎博士はそのこと言っているのです。マイラバも歌っている。
あなたも泳いでいるならきっと逢える運命の時に♪
2025.09.12 05:42
スピード落とせ。車は急には止まれない。
どうやら時間の正体は温度、つまり、どうやら熱のようだ。で、熱の正体は、どうやらせわしなさ、とか、ガチャ度、とか、貧乏ゆすり、とか、とどのつまり動きのようである。気体のように分子が自由に動き回れる場合は分子の移動スピード、液体のように分子の動く範囲に制約がある場合は水圧かなんかに関係があるようだ。さらに分子の動ける範囲が極端に制約される個体の場合だって、熱膨張というものがあるから膨張圧というものがあるだろう。これだって分子がせわしなく動くリクトみたいな分子だったら、隣にいるわたしにせわしなくぶつかるだろう。圧を感じる。要するにリクト圧を感じる。リクト分子の移動スピードが2倍なら、2倍くらい暑苦しくなる。せわしなさが2倍になれば2倍くらいのマシマシの水圧や膨張圧を感じることだろう。で、熱とは何かを問えば、お隣の悪ガキのせわしなさ、とどのつまり運動スピードです。お隣の悪ガキども、リクトやコハルやナツキやダイが2倍のスピードで動き回るようになれば、お隣にいる私やナオリに対して、衝突度が2倍くらいに増す。暑苦しさが2倍、つまり感じる温度が2倍くらいに増す。温度の正体ね、つまり悪ガキどもの移動スピード。悪ガキどもの移動スピードが2倍になれば、悪ガキどもが私に衝突する確率が倍増してしまうんです。ということで、熱とは何か、悪ガキどもの移動スピード、を、その暑苦しさを私が熱として感じているわけです。時間イコール熱、熱イコール悪ガキどもの移動スピード。結局のところ、時間というのは物の移動スピードということになります。物の移動スピードが増せば私への衝突確率が増すでしょう。この衝突確率が熱であり、この衝突確率が私の時間の正体なんです。
2025.09.11 03:22
ターミネーター
カルロや朝永振一郎さんといった一流の物理学者が熱の拡散が唯一の時間の正体であると言っており、しかも世界中の物理学者たちも異論なくそうだと言っているようなんです。ま、そうなんだね、ということで今しばらく素人の私は分析を続けてみます。さて熱、つまり温度なんですけど、子細に考えると温度、つまり摂氏40度とか華氏18度とか何を指し示しているのだろうか。つまり、温度というものを子細に突き詰めると、何か温度というものが直接に独立にあるわけではなく、それは物質の動き回り具合であるということのようです。熱風というのは空気分子が活発に動き回っているさま、冷風というのはクーラーから出るおとなし目の空気分子の一団が出ているんです。熱風も冷風も同じ空気。ただ熱風はやんちゃなコハルやリクトみたいな悪ガキの活発に動き回る空気分子の一団で、冷風は私やナオリのような物静かな空気分子の一団であるというわけです。この同じ空気分子のやんちゃ加減やおとなし加減を温度、つまり摂氏何度とか華氏何度とかと言っているわけです。つまり温度といった何かのものがあるわけではなく、忙しいやんちゃ、とか、いるんかいないのか分からんぐらいおとなしいな、といったムード、状態のことを指しているんです。ものはいっしょです、空気、空気分子です。せわしない空気分子は熱風と呼ばれ、おとなしい空気分子は冷風と呼ばれます。
サウナの中にいると熱い、温度が高い。これを分子運動ふうに言い換えると、分子振動、震え、です。貧乏ぶるいしている、すなわち足を常にガチャガチャさせている、いつも身体をじっとしていない、せわしなく動かしているコハルやリクトのような空気分子か、あるいは、じっとした佇まいの私やナオリのような空気分子かという違いです。この空分子のガチャ度のことを温度と言っているわけで、ほんとは熱くない。ガチャ度を人間が熱いとか寒いとか感じたまま言っているだけでほんとは客観的には熱くないし冷たくない。映画のターミネーターのように熱した溶鉱炉の中もほんとは熱くない。熱いとか言っているのは人間だからだ。猫だからだ。小鳥だからだ。われわれがターミネーターなら、熱いという感覚はなく、熱という概念も持たず、ひいては、ターミネーターとして時間の矢を確信することもない。かな?。
2025.09.10 09:00
冷めたコーヒー
さて、時間は人それぞれ、物それぞれ、空間それぞれ、という点はそうかもしれない、相対性理論を是とする以上は仕方ない。時間の共通通貨である単一スピードの共通の宇宙時間はあきらめるのが自然の流れかもしれない。時間のテンポ、スピードは異なれど、ヒト、モノ、空間場所それぞれかもしれないが、しかし過去現在未来というふうに流れるという意味の時間、は皆に共通しているのではないだろうか。
そこで鉄板であるそのような時間の矢の確信は、どうしてわれわれ人間は鉄板に直観するのだろうか。カルロは熱、すなわち温度といい、朝永振一郎さんも著書の中の「鏡の中の物理学」でそのようなことを言っています。つまり熱いコーヒーを眺めていたら自然と冷めてゆくその様子を見て時間の矢を直観するものだと言っています。飛び跳ねるボールのバウンドが徐々に小さくなって最後には止まってしまう様子、つまりバウンド直下の地面に摩擦熱でボールの運動エネルギーが奪われてゆく様子に、時間の矢を感じるんだと言われています。過去現在未来という時間の矢の正体は熱移動だと言っています。しかもこれだけだと言っておられるんです。
どうでしょうか?。
2025.09.09 06:02
ミニトマト
ミニトマトを家庭菜園したとしたら、それがいい時期に栽培を始めたとしたら、たとえばベランダで。たいてい2か月くらいで実がなるそうです。わたしが地球で育てたら2か月でかわいらしい実がなる。あなたが月で育てても2か月で実がなる。彼が火星で育てても2か月で実がなる。多少、温度や日光で差が出るだろうけど、そこは人工照明やエアコンなんかで同じ条件に調整したとしましょう。2か月で、そう2か月でみんな実がなる。しかし、その2か月がそれぞれ異なる。時間のスピードが違うからである。月の2か月は、地球から見れば、地球時間の1か月であったり、火星時間の2か月は地球から望遠鏡で覗いて観察したら、地球時間の1週間くらいであったりする。地球から望遠鏡で覗いてみると、つまり地球時間で観察すると、月のミニトマトは月では地球時間の1か月で、火星では地球時間の1週間でミニトマトの実がなる。しかし、それは地球時間でながめてのことで、月にいる彼も月のミニトマトもしっかり月時間の2か月を経験して収穫と相成っています。火星の彼女もしかり。しっかり火星時間の2か月の栽培期間を経験しているのです。あなた自身が月の彼だったとしても、あなたもあなたのミニトマトも、しっかり月で2か月を経験しているのです。またあなたが火星の彼女だったとしても、しっかりと火星で2か月を経験しています。そしてその月や火星のそれぞれの2か月の栽培記間を、地球から望遠鏡で見ているあなたは、地球で1か月の観察期間しか経験しないし、地球で1週間の観察期間しか経験しません。
この宇宙の時間の進み具合、お分かりになられたでしょうか。人生いろいろ、男もいろいろ、時間もいろいろ~♪、ってことでした。共通通貨である単一の宇宙時間はどこへいったのでしょうか、探しに行きましょうね。共時間、共存在、探しに参りましょう。
2025.09.08 06:05
二十億光年の孤独
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(あるいは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
出典 :谷川俊太郎
ということで、けっこう、今何してる?、は難しい。
共時間の共存在は原理的に難しいわけです。孤独をかみしめてほしいわけです。
でも、各々の時間は伸びたり縮んだり、で共通のきっちりとした固定した伸び縮みのしない宇宙時間の中、を考えることは難しいんだけれど、各々の時間のスピードは異なっていても、過去、現在、未来という時間の矢の中にはいるだろう。これぐらいでがまんしてもいいかもしれない。伸び縮みのしない宇宙時間を考えることはあきらめても、過去現在未来という矢といった共通項としての時間は共有しているんだ、と自分を慰めたくなる。はたしてそうだろうか。
2025.09.07 14:04
ただ今
時間はあるにはあるが、存在するには存在するが、われわれの鉄板の確信とは異なっているようだ。腕時計や、テレビの時報は伸びたり縮んだりはしない。地球上の時間も、月面上の時間も、アンドロメダ星雲の時間もおんなじ時間を刻んでいるはずだ、おんなじ宇宙時間のはずだ、同時刻のはずだ。この今という現在時刻に、地球も月もアンドロメダも、この同時刻に存在しているはずだ、共時間のこの一瞬に同時に共に存在しているはずだ。と、そう思っている。しかし、相対性理論をしぶしぶ認めたので、地球時間の24時間と、月面時間の24時間と、アンドロメダの24時間は、その長さが違う。例えば月時間の24時間は、地球時間の25時間であったり、アンドロメダの24時間は、地球時間の48時間であったりする。ある一瞬を、せーので同時刻としたとする。地球も月もアンドロメダもこの一瞬の今を同時刻であると、みんなで互いに確認した、確認できたとしましょう。地球で25時間経過した瞬間に思い出そう、月にいる彼女は僕たちの過去のあの共時間、共存在の瞬間から月で24時間を経た、とともに地球で25時間経過した、私たちの今、宇宙時間の今に共に生きている。おっと、アンドロメダの彼氏の今も気にしよう。計算は各自でお願いします。
今やんか、今何してる。そう今、今のことやで。ただの今。けっこう複雑。
2025.09.06 05:40
はじまりは
はじまりは、ふつうのわれわれからだ。普通の日常生活をおくる普通のわれわれ、これが時間はないの旅のスタート地点である。わたしは、時間の中でどっぷりとつかっている。腕には時計をしているし、カバンにももう一つ時計を取りつけている。おや、携帯電話の画面にも時刻が表示されている。遅刻を嫌う仕事なので時刻には神経質な日常を送っている。こんな私が時間は存在しないなどというのはばかげている。実にばかげている。ここがスタート地点なのだ。
さて、私は義務教育を受けているので、理科や化学、物理や生物などを少し知っている。高校2年生くらいまでは普通の学生をしていたので、まあまあ知っているのだ。そこで、相対性理論とやらも少し知っている。なんでも、月や地球に近いところでは時間がスロモーになるそうだ。正確にいえば質量に近づけば近づくほど時間は遅れる。また、早く動けば動くほど時間は遅れる、スロモーになる、ということだそうだ。①重さに近づく、②早く動く、とその人の時間はゆっくりと進む。これがノーベル賞をもらったアインシュタインの相対性理論である。ただそれだけのことなのだが、へー信じられないや、とすましてはおれない。これを計算入れてわれわれの普通の日常生活が組み立てられているのだ。相対性理論を認めなければ時計は狂うし、携帯もならない。新幹線もストップするし、飛行機も飛ばない。月旅行に行った宇宙飛行士の乗ったロケットも地球に戻れなくなる。パソコンもただのガラクタ、という生活に逆戻りするそうだ。でね、相対性理論、認めなくてはならんだろう。いくら私が頑固でも。
2025.09.05 06:24
願わくば花の下にて春死なん(西行)
さていよいよの気がします。春死なん、がいよいよじゃないよ、勘違いしないでね。私の場合は、まだまだなんだけどね、すべきことがいっぱいあるので、まだまだなんだ。いよいよというのはカルロの時間は存在しない、についてだよ。考えがまとまって、イメージがまとまったんだ。もう読書は、カルロについては終わったんだ。次に移ります。次のテーマは社会保障についてです。でね、カルロについては、時間はないに大いに同感しています。ぼくの頭はコペルニクス的転回を経験して相当ショックを受けました。いいショックなんだろうか、みなさんにも経験してもらおうと思い、このテーマをまとめて、終えることにいたします。カルロについては物理学を復習し、リサランドールやジュリアンバーバーを読み、ハイデガーの存在と時間も復習いたしました。数学のゲーデルの不完全性定理も頭にあります。それにしても、カルロは群を抜いていた。その結論も尊敬に値する。で、僕の理解したところを、もちろん素人頭なんだけど、僕の言葉で書いてゆきましょう。ぼくの頭で、僕の言葉で書いてゆきましょう。このコペルニクス的転回は、ぼくにとっては宝物になりました。ダイヤモンドよりも価値があった。