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2025.10.12 01:19

ライトコーン

 ほんと、このブログ「時間は存在しない」はもう終わりですね。ずいぶんと「時間は存在しない」は僕の頭の中ではすっきりとしてしまいました。カルロさんは僕たちのイメージしているような宇宙時間はないと言っていますが、宇宙時間そのものが存在しないとは言っていません。むしろ、真の宇宙時間は別に存在する、と言っておられます。どうやら出版業界のコマーシャリズムに踊らされたようです、僕は。そいで、今はすっきりしました。でも、カルロ説にはすっきりしましたが、私の哲学の道は終わりません。またいつかどこかで、お話ししましょう。
 光円錐がブラックホール近辺で傾く、とカルロさんの本で書いてありますが、それ本当です。「https://www.youtube.com/watch?v=FkPUx-PpQ8E&t=55s」でyoutubeに出てるよ。未来光円錐の方ね。

2025.10.11 05:46

たいした理由はない

 おはようさん。はなしはそろそろ終盤です。宇宙時間についても私の頭の中はかなりすっきりしてきた気がします。そろそろ実務に専念しなくては思ってきております。
 さて宇宙時間の存否について、これは私の光円錐の中のデータからは分かりえない。宇宙全体の宇宙時間は、宇宙全体が私の小さな光円錐の中に納まりきれないものだから分かりえない。けれど、私の人間時間、つまり個人時間というか、私時間は存在する。みんな私のクオリアだからです。そして、私は寂しがり屋なので、わたしはあなたにもあなたのクオリアがあると信じている。その信じるの延長で、あなた時間があり、その延長で宇宙時間も信じることとなります。カルロさんは宇宙の現在や、宇宙の今、宇宙時間はないと豪語しておりますが、証明できない、と言っておられるのですね、結局のところ。そうですね、神の存在証明はむなしい、と私も思います。存在が証明できるというのではなく、信じる、というのなら仕方ないという寛容はお持ちのはずです、カルロさんも。分かって言っているのなら、許してくださいます、カルロさんの文面からは、そう察することができます。そこでロマン・ロランさんに再登場していただきます。

愛は信頼の行為である。
神が存在するかしないかはどうでもよい。
(神を)信ずるから信ずるのである。
(人を)愛するから愛するのである。
たいした理由はない。
2025.10.08 02:40

夢の中

 光円錐が分かったのなら、もう部品はそろったようだね。たとえば宇宙を語るのなら、あなたが宇宙を知りえる情報としては、あなたの光円錐の範囲からでしか入手できない。あなたの光円錐の範囲の外からはブツは届かない。宇宙に関する情報も、あなたの光円錐の外の宇宙からは一切届かない。宇宙を語るとき、人はその人の光円錐を超えたところの宇宙も含めて語っているけど、その部分は限界を超えた想像にすぎないんだ。実験もできないし観察もできないことを語っているんだ。いいよ、分かって言っているのなら。
 ひつこいリクトが一番大きな数を言え、とよく言っているが、その質問が、自分で何を質問しているのか分かっていない。そんな感じの問いを大人も平気でしているんだ。宇宙時間があるとかないとか、よく似ている。
 さて、そうは言っても、光円錐の内からの情報を語る権利はあるだろう。光円錐の中からの情報だもの。その情報で自分時間は語りえるのではないか、宇宙全体の宇宙時間は語りえぬものだとしても。その意味でカルロさんも時間というものを語っている。宇宙時間の存在はナンセンスだから否という感じだが、自分時間はしっかり語っているし否定していない。ただ難くせで錯覚、目の弱い人間の錯覚だと言ってはいますが。しかし、錯覚であろうがなんであろうが、夢を見ている人には夢の中のブツは夢の中では存在しているんだ。そんな意味で人にとって時間は存在している。人間時間は存在している。それを前提として、カルロさんのループ量子理論も、眺める必要があるでしょうね。
 しつこいリクトのような君、すこしは心が落ち着きましたか。真実を直視して笑いましょうね。何とかなりますとも。
 
2025.10.07 03:18

光円錐

 光子に質量はないということに、いちおう世の中はおさまっています。光子という物、ブツ、存在物でありながら重さがない。思えば変なものだなあ、ホントかしらと思う。光子以外の他の素粒子には重さ、質量があるともされている。いろいろの実験を経て、ともかくも世の中の物理学の世界では、それが常識となっいます。その重さがゼロであるという特技を生かして光速は万物の最速とされいるのです。
 そこで何かの情報が伝わる速度の最速は光伝達です。お手紙はもちろん、電話であっても、何もかも、光伝達よりも遅い。わたしは今、真夜中で夜空を見ています。きれいなお月さまが出ています。ただし、約1秒前の月ね。昼間には太陽が見えることでしょう、ただしこれも約8分前の太陽。私の今には過去の宇宙しかない。つまり、おなじように、わたしには過去の君しかいないんだ。わたしの今には過去の君しかいない。その差がナノ秒くらいだから無視しているけど、さみしいね。一人ぽっちか、、、。
 そこで光円錐。コウエンスイ、ヒカリエンスイね。君は一人ぽっちの君であり、円錐の頂点で一人ぽっちです。君の今を知るものは、この宇宙で一人もいません。だって、君の今が光子を発してもゼロ秒では君を見る者は一人もいないからです。いかに光子、光速でもゼロ秒ではだれにも到達しない。今の君を見ることができる者はこの宇宙に一人もいません。ね、けっこう寂しいでしょ。光円錐の意味、、。
 何秒か経ったら今の君は他者に伝わるでしょうね、過去の君として。また何秒か経ったら、その過去の君の情報はさらに遠いところに広がるでしょう。とういうことで、とんがり帽子をひっくり返して想像してみてください。これが未来光円錐です。さ、ここで頭がしんどくなるところでしょうが、その未来光円錐をもう一度ひっくり返して、もとの未来光円錐の頂点に、頂点同士をくっつけてください。あとの方のとんがり帽子は過去光円錐だよ。他者が発した光子が、今の君に到達する範囲をあらわしている。今の君の孤独さ加減をあらわしています。これがあのツヅミの正体、あのポンポコポンの鼓(つづみ)の正体です。光円錐。
2025.10.03 04:08

ざけんじゃねえよテメエ

 熱力学の第二法則が時間の証拠。洗練して、かしこまって、エントロピーの増大が時間の証拠。ここで、グジグジ、そうかなって考えていたら、二日目でなぜか心のなかでぶすぶすと怒りがこみあげてくる。エントロピー増大って何だといえば、散らかっていくということ。つまり整理整頓が崩れていく、キレイが崩れていく、っていうこと。整理整頓の逆になっていくこと、キレイの逆になっていくこと、が時間の証拠だというわけ。見目麗しい美少女が年老いた老女になっていく様、老化が時間の証拠ってか?。いい加減にしろよ。まじめに時間を探しているんだ。
 見目麗しいって何だ?、整理整頓って何だ?。それが何であるか、によって、この大宇宙の宇宙時間の存否の証拠になるんか?。ざけんじゃねえよテメエ、と思わず叫んでしまう。大宇宙の夜空の星々をながめて、整理されているか散らかっているか、わかるんか?。モナリザの顔が黄金比になっているってか?。顔の美醜が黄金比によって客観的に決まる。部屋の片づけかたは、ママが片付けたら客観的に完璧な整理整頓で、僕の片づけかたは客観的には、なっていない横着な片付け方。そんな基準で、この客観的な宇宙時間を根拠づけようとしているのか?。整理整頓も美醜も、つまり熱伝導もエントロピー増大も、たわごとだよ、まぼろしだよ、って、カルロさんはダメ出ししてるんだ。私の求めている客観的な真実には及ばない。
2025.10.01 03:34

カルロさんは意地悪だね

 そりゃそうだ、日本語を英語に言い換えても、実態は何も変わらない。コロナを風邪と言い換えても、病原菌にとっては何にも変わらない。時間の矢の正体は熱移動であるが、これをエントロピー増大と言い換えても、時間の矢の実態にとっては何にも変わらない。やはり地球国日本郡播州地方の目の弱い人間さまの錯覚、熱移動を根拠としているはずである。エントロピー増大も錯覚だよ、とカルロさんも時間はないの著作で力説している。ウィキペディアでも、オーストリアの物理学者ヨハン・ロシュミットは、「時間対称的な力学から不可逆過程が導かれるはずがない」と述べ、ボルツマンの証明を批判した、と書かれている。ここで「時間対称的な力学」とは物理法則は時間の矢の向きを証明できないことを意味し、「不可逆過程」は、時間は逆戻りしない、つまり時間の矢という客観的宇宙時間を意味してます。つまり、つまり、熱力学第二法則でもって、時間を証明するなんて手品は通用しないよと言っています。地球国日本郡播州地方の目の弱い人間さまの錯覚だよ、って言っているわけです。
 エントロピーの増大か、、、。確かに散かり様の増大は自然の成り行きだと思うんだけど、僕の机はほっておいたら散かる。宇宙の中の粒ちゃんたちも、散らかってゆくのが自然の成り行きのように思える。トランプカードや花札のように。宇宙の万物も神様が突然、掃除して整理整頓するのか?、ママのように?。そうじゃないなら、散らかるのは自然の成り行き、つまり宇宙時間の証明になるんじゃないだろうか?。

いやならん(キッパリ)。・・・ほんと、カルロさんは意地悪だね。
2025.09.30 04:42

エントロピーの増大

 物理法則は客観的な時間を表現していない。しかし熱力学公式は客観的な時間を表現している。けれど、根拠となる熱のクオリアは目の弱い人間の錯覚でしかない。目のいいターミネーターには通じない。そこで熱という地球国日本郡播州地方の方言を、宇宙世界の標準語でワールドワイドに言いなおしましょう。エントロピーの増大というのはどうでしょう。エントロピーの増大とは、乱雑さの増大という意味で、宇宙の自然の成り行きではだんだん乱雑さ、つまり散かり様が増します。君の部屋は散らかってゆくのが自然の成り行きだよ、という意味です。ある日僕の部屋がきれいに掃除されて整理されている。ママが僕の留守中に僕の部屋を勝手に掃除して整理したというわけです。ま、世の常、自然の成り行きだね。プライバシーの侵害という世の常。ケータイの中味もチェックされているに違いない。しばらくすると、僕の部屋は散らかってゆきます。これこそ自然の成り行きで時間の矢の証明となります。宇宙も散らかってゆく、さらっぴんのトランプカードも、任天堂の花札も、時間の経過でやがて乱雑に整理もされず、順序もばらばらに仕舞いこまれることになります。客観的宇宙も同じで、自然の成り行きでエントロピーが増大する。まぜこぜ、整理整頓が散らかってゆく、これが時間が経過してゆくという根拠、証明だよというわけです。ねえ、ターミネーターんさん、熱という時間の証明を、エントロピーの増大という宇宙世界の標準語で言い換えました。どうでしょう?

ダメ。ダーメ。
2025.09.28 03:34

ギリシャ神話

 熱が熱いところから冷たいところへ流れている様子を体験すると、ああ、時間が流れているんだ、過去から現在へ、現在から未来へと流れてる、時間は存在するんだ、よかった~、と安心できる、という塩梅なのだそうだ。カルロさんや朝永さんやボルツマンさんによれば。
 しか~し、熱というのはターミネーターさんによればある集団内の粒ちゃんたちの一つ一つの動きを観察しきれないから、アバウトに全体として騒々しい集団やなとか、おとなしい集団やなとしか、人間が観察しきれないからの人間の感覚の限界の問題やないの?、と言っておられます。ターミネーターさんには各々の集団の粒ちゃんたちの一粒一粒の動きを完璧に把握できるので、人間のアバウトな感覚にすぎない熱いとか冷たいとかは関係なく、単に粒の一つ一つの動きを完璧に認識できてま~す、そうだ。じゃ、熱というの人間界の方言にすぎないから、とどのつまり、熱が熱いところから冷たいところに流れる、という時間の素となる言質(げんち)は、人間界にだけ通じる方言やね。郷に入れば郷に従え、ということにすぎんのやね。神に通じる、客観的な真実、を求めているわれわれにとって耳の痛い批判である。やっとカルロさんという救世主を見つけたのに。
 デルタサルディとは、ターミネーターに比し、目の弱い人間界の方言、言い伝えでしかなく真実客観にあるのは粒の一つ一つの動き様しかないで。粒の動き一つ一つの動き様はガリレオやニュートンの物理法則、物理公式に従って動いているんや、って言っていたでしょう。それを、地方の伝承でひっくり返したらあかんでしょう。物理法則は時間を証明できない、しかし播州地方の言い伝えで証明できる。それでもって宇宙の客観的真実を証明できた、なんて安心していたらアカンでしょ。
2025.09.27 05:46

デルタサルディ

 おはようさん。今日も早朝から時間を求めます、探しに行きます。あの~、物理学者は宇宙を摩擦のない完全ビリヤード台に見立てて星々、物質、原子、分子、素粒子なんかを、光子も含めて、ビリヤードの玉と見立てて、その動き方を物理公式、物理法則として表現して、これを客観的真実の姿であるとしているようですね、イメージとしては。そして我々は、そのビリヤードの玉たちの動きの様子から時間の存在をを確信している。ところが、動きは動きにすぎず、その動く様子を表現した物理公式や物理法則、つまりガリレオやニュートンの物理公式や物理法則は時間の矢を証明できない、リトマス紙にはなれない。客観的事実を正順再生しようが逆順再生しようが、いずれでも適用できるので、この客観的真実の世界が、過去、現在、未来と時間が流れているのか、未来、現在、過去と流れているのか分からないんだ、その物理公式が適用されている事実をもってしても。つまり、リトマス紙がないんだ。物理公式の通用の有無が、時間の存在のリトマス紙になり得ていない。
 これは困ったということで、ボルツマンさんという物理学者が、熱というものを発見し、熱力学を物理法則、物理公式に書き加えた。ガリレオやニュートンさんたちの物理公式に熱力学という物理公式を書き加えたんだ。その熱力学の第二法則として”熱は熱いところから冷たいところへ流れる、この宇宙に逆はありえない”、あのデルタサルディの公式があるんだ。この公式は時間の矢を指し示している。はじめて物理公式が時間の流れのリトマス紙の役目を果たすことになる。デルタサルディが確認できれば、時間の矢を確認できる、時間の存在を確認できる、と。
 ほんまか?
2025.09.25 03:01

時間の矢

 さて、いよいよ本論に入ってゆかなくてはならない。いつまでも前哨戦で戯れていてはいけないでしょう。時間の矢のとおりなら、時間はあって、そして進んでいる。この宇宙のまったくの真実であって、人間がいようがいまいが静かにひそやかに着実に流れているのだ、人間界の騒々しい議論も単なる戯れの戯言にすぎず、宇宙時間というものが確実にあるのだ、という素朴で硬い確信、硬い信念、それを純朴には信じれなくなってしまうと、情緒が不安定になる。ここと戦う必要があるんだろうかね。
 で、物理法則は熱の第二法則(熱は熱いところから冷たいところへ流れる)を除いてまったく時間の矢のリトマス紙にはならない。そして、熱とは何かといえば、小さな粒ちゃんたちの一個一個の動きをまとめて、騒々しいなら熱い、しずかちゃんレベルなら冷たいと、人間は感じる。ただ、人間が感じる感覚にすぎない。ターミネーターには熱いも冷たいもない。この粒ちゃんたちの騒々しさが、一個一個の粒ちゃんたちのぶつかり合いで、動きが伝わり、騒々しさが様々な粒ちゃんたちの集合体、集まりに伝わる。これが熱伝導。熱伝導が熱の第二法則通りに伝わっているなら、それこそが時間の矢のとおりに時間が動いているリトマス紙の証拠だよ、宇宙時間ってやっぱあるんだということになるんですね、今の段階では。
 そいで、第二法則なんだけど、騒々しさがぶつかり合わなければ伝わらないんだけど、あの、マイラバのように泳いでいなけばぶつかる余地がない。熱が伝わる余地がない。泳いでいてもらなくてはならんね。泳いでいるなら、めぐり逢えて、騒々しさが伝わる。これが自然の成り行きならば、時間の矢は自然の成り行きで、この宇宙が自然なら、宇宙時間は必然ということになる。
 めでたし、めでたし、か?
2025.09.24 06:26

take your reality and don't be discouraged.

 おはようさん。さて、ぼくは君をしらない。君の考えや君の視ている色を知りえない。君の考えや君が見たたという色なんかを聞くことができるし、分かる、理解する、想像することはできるかもしれないが、君の気分や気持ちそのものになることはできない。君の視ている赤色そのものを、知ること、想像することはできるかもしれないが、僕自身の心の中で実体験できない。難しいね。カントが、物そのもの、ものそれ自体を知ることはできないと言っていること。デカルトがわれ思う、ゆにわれあり、と言っている気持ち。脳科学者の茂木さんのいっているクオリアという言葉。赤色という言葉は誰でも知っているが、赤色というリアルな感覚、体験、直観、頭の中でリアルにイメージする赤色、これをクオリアって言っているんだけど、私の赤色のクオリアと君の赤色のクオリアは、おそらく親戚だろうけど、ぴったりと客観的には一致していないだろうね、おそらく。ドイツの言語哲学者のビトゲンシュタインやイギリス論理哲学者のラッセルなんかの言っていることなんだ。人それぞれの固有のクオリアであってその客観的な一致を確かめるすべはない。それでいい、それでいい。現実を直視して、そして笑おう。最後の一言はフランスの小説家のロマン・ロランだね。
2025.09.23 05:36

神の一撃を求む

 ぼくは平々凡々の凡人を自認している。それが理想のモデルである。意味は自分でも不明である。しかし、そうでありたい。いえね、時間はないのカルロさんや朝永さんを考えていると、彼らの悪戦苦闘がイメージできて、さすがにお苦しいだろうなと想像できるんです。その先を行くようなホーキングさんは、さぞかしおつらいだろうなと、凡人の私が勝手に世迷言をつぶやく感じです。神の一撃を求めているんでしょうね。そんなもんないから、と僕が言うまでもなく、それで彼らは苦闘しているんでしょう。最近、カルロさんや朝永さんの言い分はよく分かるし、まったくのシンパです、私も。で、ともかくも論を進めましょう。
 時間、いや時間の矢の正体は、熱移動です。ま、実に謙虚な彼ららしい言質だと思います。かれらはなんて質素で実直な人たちなんでしょう。これだけで彼らのファンになってしまいます、私は。そして、熱伝導は物の衝突、ぶつかり合いです。ぶつかるためには近くにいなければならない。二十億光年の孤独の谷川俊太郎さんを克服しなければならない。エントロピー。時間の矢で克服しなければならない。時間の矢にこの身を任せると孤独を克服できる。エントロピーが増大するということは自然の流れ、時間の矢を感じれるのです。マイラバの泳いでいるってことです。いつか逢える、衝突する。
2025.09.21 09:05

プレイバック

 ある物体がある空間にこの位置にあって、ある角度である一定の力を加えるとどうなるか、数秒後にはこの位置に移動しているだろう。なんてことは、ガリレオやニュートンの物理公式で正確に予想できる。最初の物体の状態をA状態とし、予測結果となる状態を、B状態とする。これ、実験経過をビデオで撮っておきましょう。この実験録画を誰かに見てもらうと、単に数秒間の変哲のない録画だね。という感想でしょうね、たぶん。で、次に、このビデオを逆戻しで見てもらいましょう。さっきのビデオの逆戻しだね、という感想でしょうね、たぶん。
 A状態からB状態の変化は物理公式をつかって予想通りの変化が生じてます。時間の流れに沿って、未来予測ができています。でね、最初がB状態であるとして、A状態に変化させるために必要な力の加え方、角度を逆算したら、その逆算値をガリレオやニュートンの最初につかった物理公式に入力したら数秒後にA状態になります。つまり、物理公式が適用できるということでもって、時間の矢の向きを確認できない。録画の正順再生と逆順再生は区別できないんです。先ほどの人ではなく別の人に最初の録画記録ビデオを見てもらいましょう。ただし、逆順再生の方を先に見てもらい、正順再生を後に見てもらいます。やっぱ同じ感想が戻ってくるでしょう。最初に見た再生は時間通りの再生だね、後に見た再生はプレイバック再生だ、と。
 デルタサルディの公式以外の物理公式は時間の矢のあてにはならない。と言っておられるわけです。カルロさんや朝永さんは。つまりデルタサルディ公式以外のすべての物理公式は、時間が逆向きに流れていてもぴっちり適用される。しかしデルタサルディ公式は時間の矢が過去、現在、未来と流れているときにだけ正しく適用される。熱移動があれば、つまり、熱いものから冷たいものへ熱が移動していたら時間の矢の通りに時間が流れている。仮に冷たいものから熱いものへ熱が移動していたら、君はタイムマシンの中だよ、時間が逆向きに流れてるよ、というリトマス紙のようなものなんだ。
2025.09.20 07:23

稲妻の衝撃

 さて、熱移動、熱伝導だけが時間の正体であるという、カルロや朝永の頭はどうなっているんだろうか。もちろん、ぼくにも最初は分からなかった。しかし、ようく考えているうちに稲妻のような衝撃が走った。分かりかけてきたんだ。深遠な物理学や量子論、ループ量子論なんかではなく、常識に降りてきた知恵である。衝撃だった。
 ま、熱伝導が時間の正体であるとして論を進めよう。その評価は君の頭の中での今後の評価にお任せいたします。熱とは何か、については物体の動き、要は慣性の法則、つまり、物体に何も力がかからなければ、動いているものはそのまま動きっぱなし、止まっているものはそのまま止まりっぱなしという、ありふれた事実である。動いていること自体が熱の正体であって、止まっている別の物にぶつかったら、その別の物は動き出し、最初に一人で動いていたものは他の別の物に衝突したおかげで動きがその分弱まる。これで熱伝導が完了です。動き回っている最初のコップの水、このコップは熱いと感じる。われわれは熱いと感じる。もうひとつの別のコップには冷たい水が入っている。冷たいコップ。この冷たいコップの中の水分子はおとなしい粒ちゃんたちで、水分子一個一個の動きは鈍い、おとなしい。われわれには冷えたコップの水としか感じない。熱いコップの水を冷えたコップの水にそそぐ。それぞれの水分子がぶつかり合ってぬるくなる。熱い水分子、動きのすばやいものが、冷たい水分子、動きののろいものに衝突して、せっかちな動きは遅くなり、逆に冷たかった水分子のスローモーな動きは若干早くなる。熱い水がぬるくなり、冷たい水もぬるくなる。これが熱伝導というわけです。
 すごく自然な成り行きでしょ。これが時間の正体ですね。われわれが時間の矢を感じる瞬間です。過去から現在へ、現在から未来へ、時間を感じる、時間の矢を感じる瞬間です。逆戻りはしません。時間の正体を感じる瞬間です。
 稲妻の衝撃へ、話しを続けていいでしょうか、
2025.09.17 07:11

色の素

 えーと、味の素の客観的真実はLグルタミンソーダだということらしい。Lなんとかを人間が舌の上でキャッチしたらえもいわれない味と感じるらしい。じゃ、色の素は何だ?。光子の揺れ具合だそうだ。光子が何かの物体にあたって跳ね返る。そのとき当たったなにかの物体によって、微妙に跳ね返り状態が違うんだ。跳ね返った光子を人間の目、網膜がキャッチしたときに微妙な光子の揺れを色と感じます。元の物体に色というものがあって、それを人間が正確にキャッチして色を発見しているわけじゃないんだ。あるのは光子の跳ね返り状態です。電車の横揺れのようなガタンゴトン、はたまたゴトゴトといった微妙な光子の揺れを人間は色と感じる。小刻みなゴトゴトは青色と感じるし、ゆったりとしたガタンゴトンは赤色と感じる。物に色というものがあって、それを人間が神様の似姿として認識しているわけではなく、光子が物に当たって跳ね返り、横揺れを伴って人間の網膜に突入し、人間はその横揺れ光子を見てカラードの世界を見る。色は色ではなく単なる光子の横揺れであって、われわれが公園でよく見る子供のボール遊びの光景にすぎない。色で満ち溢れていない。あるのはボールの跳ね返り具合だけです。
 この調子で、時間の素はなく、ボールの跳ね返り具合しかありませんよ、へ、話しを進めていきますよ。宇宙は時間に満ち溢れているわけでなく、単にボールが跳ね返っているだけである。跳ね返っているんか?
2025.09.16 07:32

E=MC2乗

 昔は熱を、味の素、もとい熱の素のようなものが実体であると考えられていた。熱の素が実体であってその受け渡しが熱伝導だよと考えられていた。実に人間の感覚に素直な信念であって、周りの人々との摩擦は少ない。平和に生きていくための昔の先人の知恵である。地面は平らであって動いていない、不動産だよ、地球というものであって丸く空中にぽかんと浮かんでいるなんて狂人のたわごとだ。人間の感覚に素直な信念という直観はよい知恵かもしれない。平和に過ごそう、コンフリクトは苦痛だ。昔は人生50年、その昔は人生30年だ。その前の前の昔は12歳で元服、もう結婚適齢期であった。12歳で結婚しなくちゃ寿命を逆算したら、行き遅れなんだ。子供を作って田んぼを耕して赤ちゃんを育てなくては、寿命の逆算からもう間に合わないんだ。地球が丸いとか、時間はないとか、そんなたわごとを言っている暇はない。だ~か~ら~、人間機械論とか、宇宙決定論とか、そんな素直な人間の直感の信念でいいんだ。コンフリクト、例えば戦争で人生のジエンドを迎えるのはまっぴらだ。
 し~か~し、あえて真実を追求します。ここでは。決して悪用しないようにね。原爆の開発者のアインシュタインも、深く後悔していましたよ。科学を追い求めて傷ついている。E=MC2乗
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