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2025.09.30 04:42

エントロピーの増大

 物理法則は客観的な時間を表現していない。しかし熱力学公式は客観的な時間を表現している。けれど、根拠となる熱のクオリアは目の弱い人間の錯覚でしかない。目のいいターミネーターには通じない。そこで熱という地球国日本郡播州地方の方言を、宇宙世界の標準語でワールドワイドに言いなおしましょう。エントロピーの増大というのはどうでしょう。エントロピーの増大とは、乱雑さの増大という意味で、宇宙の自然の成り行きではだんだん乱雑さ、つまり散かり様が増します。君の部屋は散らかってゆくのが自然の成り行きだよ、という意味です。ある日僕の部屋がきれいに掃除されて整理されている。ママが僕の留守中に僕の部屋を勝手に掃除して整理したというわけです。ま、世の常、自然の成り行きだね。プライバシーの侵害という世の常。ケータイの中味もチェックされているに違いない。しばらくすると、僕の部屋は散らかってゆきます。これこそ自然の成り行きで時間の矢の証明となります。宇宙も散らかってゆく、さらっぴんのトランプカードも、任天堂の花札も、時間の経過でやがて乱雑に整理もされず、順序もばらばらに仕舞いこまれることになります。客観的宇宙も同じで、自然の成り行きでエントロピーが増大する。まぜこぜ、整理整頓が散らかってゆく、これが時間が経過してゆくという根拠、証明だよというわけです。ねえ、ターミネーターんさん、熱という時間の証明を、エントロピーの増大という宇宙世界の標準語で言い換えました。どうでしょう?

ダメ。ダーメ。
2025.09.28 03:34

ギリシャ神話

 熱が熱いところから冷たいところへ流れている様子を体験すると、ああ、時間が流れているんだ、過去から現在へ、現在から未来へと流れてる、時間は存在するんだ、よかった~、と安心できる、という塩梅なのだそうだ。カルロさんや朝永さんやボルツマンさんによれば。
 しか~し、熱というのはターミネーターさんによればある集団内の粒ちゃんたちの一つ一つの動きを観察しきれないから、アバウトに全体として騒々しい集団やなとか、おとなしい集団やなとしか、人間が観察しきれないからの人間の感覚の限界の問題やないの?、と言っておられます。ターミネーターさんには各々の集団の粒ちゃんたちの一粒一粒の動きを完璧に把握できるので、人間のアバウトな感覚にすぎない熱いとか冷たいとかは関係なく、単に粒の一つ一つの動きを完璧に認識できてま~す、そうだ。じゃ、熱というの人間界の方言にすぎないから、とどのつまり、熱が熱いところから冷たいところに流れる、という時間の素となる言質(げんち)は、人間界にだけ通じる方言やね。郷に入れば郷に従え、ということにすぎんのやね。神に通じる、客観的な真実、を求めているわれわれにとって耳の痛い批判である。やっとカルロさんという救世主を見つけたのに。
 デルタサルディとは、ターミネーターに比し、目の弱い人間界の方言、言い伝えでしかなく真実客観にあるのは粒の一つ一つの動き様しかないで。粒の動き一つ一つの動き様はガリレオやニュートンの物理法則、物理公式に従って動いているんや、って言っていたでしょう。それを、地方の伝承でひっくり返したらあかんでしょう。物理法則は時間を証明できない、しかし播州地方の言い伝えで証明できる。それでもって宇宙の客観的真実を証明できた、なんて安心していたらアカンでしょ。
2025.09.27 05:46

デルタサルディ

 おはようさん。今日も早朝から時間を求めます、探しに行きます。あの~、物理学者は宇宙を摩擦のない完全ビリヤード台に見立てて星々、物質、原子、分子、素粒子なんかを、光子も含めて、ビリヤードの玉と見立てて、その動き方を物理公式、物理法則として表現して、これを客観的真実の姿であるとしているようですね、イメージとしては。そして我々は、そのビリヤードの玉たちの動きの様子から時間の存在をを確信している。ところが、動きは動きにすぎず、その動く様子を表現した物理公式や物理法則、つまりガリレオやニュートンの物理公式や物理法則は時間の矢を証明できない、リトマス紙にはなれない。客観的事実を正順再生しようが逆順再生しようが、いずれでも適用できるので、この客観的真実の世界が、過去、現在、未来と時間が流れているのか、未来、現在、過去と流れているのか分からないんだ、その物理公式が適用されている事実をもってしても。つまり、リトマス紙がないんだ。物理公式の通用の有無が、時間の存在のリトマス紙になり得ていない。
 これは困ったということで、ボルツマンさんという物理学者が、熱というものを発見し、熱力学を物理法則、物理公式に書き加えた。ガリレオやニュートンさんたちの物理公式に熱力学という物理公式を書き加えたんだ。その熱力学の第二法則として”熱は熱いところから冷たいところへ流れる、この宇宙に逆はありえない”、あのデルタサルディの公式があるんだ。この公式は時間の矢を指し示している。はじめて物理公式が時間の流れのリトマス紙の役目を果たすことになる。デルタサルディが確認できれば、時間の矢を確認できる、時間の存在を確認できる、と。
 ほんまか?
2025.09.25 03:01

時間の矢

 さて、いよいよ本論に入ってゆかなくてはならない。いつまでも前哨戦で戯れていてはいけないでしょう。時間の矢のとおりなら、時間はあって、そして進んでいる。この宇宙のまったくの真実であって、人間がいようがいまいが静かにひそやかに着実に流れているのだ、人間界の騒々しい議論も単なる戯れの戯言にすぎず、宇宙時間というものが確実にあるのだ、という素朴で硬い確信、硬い信念、それを純朴には信じれなくなってしまうと、情緒が不安定になる。ここと戦う必要があるんだろうかね。
 で、物理法則は熱の第二法則(熱は熱いところから冷たいところへ流れる)を除いてまったく時間の矢のリトマス紙にはならない。そして、熱とは何かといえば、小さな粒ちゃんたちの一個一個の動きをまとめて、騒々しいなら熱い、しずかちゃんレベルなら冷たいと、人間は感じる。ただ、人間が感じる感覚にすぎない。ターミネーターには熱いも冷たいもない。この粒ちゃんたちの騒々しさが、一個一個の粒ちゃんたちのぶつかり合いで、動きが伝わり、騒々しさが様々な粒ちゃんたちの集合体、集まりに伝わる。これが熱伝導。熱伝導が熱の第二法則通りに伝わっているなら、それこそが時間の矢のとおりに時間が動いているリトマス紙の証拠だよ、宇宙時間ってやっぱあるんだということになるんですね、今の段階では。
 そいで、第二法則なんだけど、騒々しさがぶつかり合わなければ伝わらないんだけど、あの、マイラバのように泳いでいなけばぶつかる余地がない。熱が伝わる余地がない。泳いでいてもらなくてはならんね。泳いでいるなら、めぐり逢えて、騒々しさが伝わる。これが自然の成り行きならば、時間の矢は自然の成り行きで、この宇宙が自然なら、宇宙時間は必然ということになる。
 めでたし、めでたし、か?
2025.09.24 06:26

take your reality and don't be discouraged.

 おはようさん。さて、ぼくは君をしらない。君の考えや君の視ている色を知りえない。君の考えや君が見たたという色なんかを聞くことができるし、分かる、理解する、想像することはできるかもしれないが、君の気分や気持ちそのものになることはできない。君の視ている赤色そのものを、知ること、想像することはできるかもしれないが、僕自身の心の中で実体験できない。難しいね。カントが、物そのもの、ものそれ自体を知ることはできないと言っていること。デカルトがわれ思う、ゆにわれあり、と言っている気持ち。脳科学者の茂木さんのいっているクオリアという言葉。赤色という言葉は誰でも知っているが、赤色というリアルな感覚、体験、直観、頭の中でリアルにイメージする赤色、これをクオリアって言っているんだけど、私の赤色のクオリアと君の赤色のクオリアは、おそらく親戚だろうけど、ぴったりと客観的には一致していないだろうね、おそらく。ドイツの言語哲学者のビトゲンシュタインやイギリス論理哲学者のラッセルなんかの言っていることなんだ。人それぞれの固有のクオリアであってその客観的な一致を確かめるすべはない。それでいい、それでいい。現実を直視して、そして笑おう。最後の一言はフランスの小説家のロマン・ロランだね。
2025.09.23 05:36

神の一撃を求む

 ぼくは平々凡々の凡人を自認している。それが理想のモデルである。意味は自分でも不明である。しかし、そうでありたい。いえね、時間はないのカルロさんや朝永さんを考えていると、彼らの悪戦苦闘がイメージできて、さすがにお苦しいだろうなと想像できるんです。その先を行くようなホーキングさんは、さぞかしおつらいだろうなと、凡人の私が勝手に世迷言をつぶやく感じです。神の一撃を求めているんでしょうね。そんなもんないから、と僕が言うまでもなく、それで彼らは苦闘しているんでしょう。最近、カルロさんや朝永さんの言い分はよく分かるし、まったくのシンパです、私も。で、ともかくも論を進めましょう。
 時間、いや時間の矢の正体は、熱移動です。ま、実に謙虚な彼ららしい言質だと思います。かれらはなんて質素で実直な人たちなんでしょう。これだけで彼らのファンになってしまいます、私は。そして、熱伝導は物の衝突、ぶつかり合いです。ぶつかるためには近くにいなければならない。二十億光年の孤独の谷川俊太郎さんを克服しなければならない。エントロピー。時間の矢で克服しなければならない。時間の矢にこの身を任せると孤独を克服できる。エントロピーが増大するということは自然の流れ、時間の矢を感じれるのです。マイラバの泳いでいるってことです。いつか逢える、衝突する。
2025.09.21 09:05

プレイバック

 ある物体がある空間にこの位置にあって、ある角度である一定の力を加えるとどうなるか、数秒後にはこの位置に移動しているだろう。なんてことは、ガリレオやニュートンの物理公式で正確に予想できる。最初の物体の状態をA状態とし、予測結果となる状態を、B状態とする。これ、実験経過をビデオで撮っておきましょう。この実験録画を誰かに見てもらうと、単に数秒間の変哲のない録画だね。という感想でしょうね、たぶん。で、次に、このビデオを逆戻しで見てもらいましょう。さっきのビデオの逆戻しだね、という感想でしょうね、たぶん。
 A状態からB状態の変化は物理公式をつかって予想通りの変化が生じてます。時間の流れに沿って、未来予測ができています。でね、最初がB状態であるとして、A状態に変化させるために必要な力の加え方、角度を逆算したら、その逆算値をガリレオやニュートンの最初につかった物理公式に入力したら数秒後にA状態になります。つまり、物理公式が適用できるということでもって、時間の矢の向きを確認できない。録画の正順再生と逆順再生は区別できないんです。先ほどの人ではなく別の人に最初の録画記録ビデオを見てもらいましょう。ただし、逆順再生の方を先に見てもらい、正順再生を後に見てもらいます。やっぱ同じ感想が戻ってくるでしょう。最初に見た再生は時間通りの再生だね、後に見た再生はプレイバック再生だ、と。
 デルタサルディの公式以外の物理公式は時間の矢のあてにはならない。と言っておられるわけです。カルロさんや朝永さんは。つまりデルタサルディ公式以外のすべての物理公式は、時間が逆向きに流れていてもぴっちり適用される。しかしデルタサルディ公式は時間の矢が過去、現在、未来と流れているときにだけ正しく適用される。熱移動があれば、つまり、熱いものから冷たいものへ熱が移動していたら時間の矢の通りに時間が流れている。仮に冷たいものから熱いものへ熱が移動していたら、君はタイムマシンの中だよ、時間が逆向きに流れてるよ、というリトマス紙のようなものなんだ。
2025.09.20 07:23

稲妻の衝撃

 さて、熱移動、熱伝導だけが時間の正体であるという、カルロや朝永の頭はどうなっているんだろうか。もちろん、ぼくにも最初は分からなかった。しかし、ようく考えているうちに稲妻のような衝撃が走った。分かりかけてきたんだ。深遠な物理学や量子論、ループ量子論なんかではなく、常識に降りてきた知恵である。衝撃だった。
 ま、熱伝導が時間の正体であるとして論を進めよう。その評価は君の頭の中での今後の評価にお任せいたします。熱とは何か、については物体の動き、要は慣性の法則、つまり、物体に何も力がかからなければ、動いているものはそのまま動きっぱなし、止まっているものはそのまま止まりっぱなしという、ありふれた事実である。動いていること自体が熱の正体であって、止まっている別の物にぶつかったら、その別の物は動き出し、最初に一人で動いていたものは他の別の物に衝突したおかげで動きがその分弱まる。これで熱伝導が完了です。動き回っている最初のコップの水、このコップは熱いと感じる。われわれは熱いと感じる。もうひとつの別のコップには冷たい水が入っている。冷たいコップ。この冷たいコップの中の水分子はおとなしい粒ちゃんたちで、水分子一個一個の動きは鈍い、おとなしい。われわれには冷えたコップの水としか感じない。熱いコップの水を冷えたコップの水にそそぐ。それぞれの水分子がぶつかり合ってぬるくなる。熱い水分子、動きのすばやいものが、冷たい水分子、動きののろいものに衝突して、せっかちな動きは遅くなり、逆に冷たかった水分子のスローモーな動きは若干早くなる。熱い水がぬるくなり、冷たい水もぬるくなる。これが熱伝導というわけです。
 すごく自然な成り行きでしょ。これが時間の正体ですね。われわれが時間の矢を感じる瞬間です。過去から現在へ、現在から未来へ、時間を感じる、時間の矢を感じる瞬間です。逆戻りはしません。時間の正体を感じる瞬間です。
 稲妻の衝撃へ、話しを続けていいでしょうか、
2025.09.17 07:11

色の素

 えーと、味の素の客観的真実はLグルタミンソーダだということらしい。Lなんとかを人間が舌の上でキャッチしたらえもいわれない味と感じるらしい。じゃ、色の素は何だ?。光子の揺れ具合だそうだ。光子が何かの物体にあたって跳ね返る。そのとき当たったなにかの物体によって、微妙に跳ね返り状態が違うんだ。跳ね返った光子を人間の目、網膜がキャッチしたときに微妙な光子の揺れを色と感じます。元の物体に色というものがあって、それを人間が正確にキャッチして色を発見しているわけじゃないんだ。あるのは光子の跳ね返り状態です。電車の横揺れのようなガタンゴトン、はたまたゴトゴトといった微妙な光子の揺れを人間は色と感じる。小刻みなゴトゴトは青色と感じるし、ゆったりとしたガタンゴトンは赤色と感じる。物に色というものがあって、それを人間が神様の似姿として認識しているわけではなく、光子が物に当たって跳ね返り、横揺れを伴って人間の網膜に突入し、人間はその横揺れ光子を見てカラードの世界を見る。色は色ではなく単なる光子の横揺れであって、われわれが公園でよく見る子供のボール遊びの光景にすぎない。色で満ち溢れていない。あるのはボールの跳ね返り具合だけです。
 この調子で、時間の素はなく、ボールの跳ね返り具合しかありませんよ、へ、話しを進めていきますよ。宇宙は時間に満ち溢れているわけでなく、単にボールが跳ね返っているだけである。跳ね返っているんか?
2025.09.16 07:32

E=MC2乗

 昔は熱を、味の素、もとい熱の素のようなものが実体であると考えられていた。熱の素が実体であってその受け渡しが熱伝導だよと考えられていた。実に人間の感覚に素直な信念であって、周りの人々との摩擦は少ない。平和に生きていくための昔の先人の知恵である。地面は平らであって動いていない、不動産だよ、地球というものであって丸く空中にぽかんと浮かんでいるなんて狂人のたわごとだ。人間の感覚に素直な信念という直観はよい知恵かもしれない。平和に過ごそう、コンフリクトは苦痛だ。昔は人生50年、その昔は人生30年だ。その前の前の昔は12歳で元服、もう結婚適齢期であった。12歳で結婚しなくちゃ寿命を逆算したら、行き遅れなんだ。子供を作って田んぼを耕して赤ちゃんを育てなくては、寿命の逆算からもう間に合わないんだ。地球が丸いとか、時間はないとか、そんなたわごとを言っている暇はない。だ~か~ら~、人間機械論とか、宇宙決定論とか、そんな素直な人間の直感の信念でいいんだ。コンフリクト、例えば戦争で人生のジエンドを迎えるのはまっぴらだ。
 し~か~し、あえて真実を追求します。ここでは。決して悪用しないようにね。原爆の開発者のアインシュタインも、深く後悔していましたよ。科学を追い求めて傷ついている。E=MC2乗
2025.09.14 01:51

お風呂とダーウィン

 熱い冷たいとは、その物を作っている無数の粒がせわしなく動いているかどうかの差であって、熱素とかのような熱そのものの実体があるわけではない。せわしなく構成要素の無数の粒が動いているかどうかの差なのである。せわしなく動いているなら人間はその動きを熱いと感じ、粒ちゃんたちがおとなしいときには、そのおとなしい動きを直接おとなしい粒ちゃんたちと感じるのではなく、温度の感覚で冷たいと感じているのである。つまり、客観的に熱い冷たいは存在しておらず、客観的に存在する動きというものを、粒(水分子)の一個一個の早い遅いを観察するのが面倒なので、まとめてこの水は冷たいとか、この水は熱い、お湯やんかと瞬時に判断するからである。そうしないと、人間は生きていけない。水分子の粒子一個一個の動きの早い遅いを観察し終えるまではお風呂に入らないというのであれば、人は一生お風呂には入れないだろう。お風呂にちゃんと入れる人間だけが生き残っているのである。ダーウィンさんがそう言っておられますね。
2025.09.13 07:34

マイラバ

 私が動いているなら、あなたにぶつかる可能性がある。あなたも動いているなら私にぶつかる可能性がある。二人がじっとして今いるところから動かないなら、私とあなたがぶつかることはない、衝突可能性、衝突確率はゼロです。少なくともどちらかが動いているなら、衝突確率が現実化してぶつかるときがある。そのとき私の動きは若干弱まり、ぶつかられたあなたはその分若干動き出す。これが熱移動の正体であり、われわれが時間を、宇宙時間を直観する瞬間です。カルロや朝永振一郎博士はそのこと言っているのです。マイラバも歌っている。

あなたも泳いでいるならきっと逢える運命の時に♪
2025.09.12 05:42

スピード落とせ。車は急には止まれない。

 どうやら時間の正体は温度、つまり、どうやら熱のようだ。で、熱の正体は、どうやらせわしなさ、とか、ガチャ度、とか、貧乏ゆすり、とか、とどのつまり動きのようである。気体のように分子が自由に動き回れる場合は分子の移動スピード、液体のように分子の動く範囲に制約がある場合は水圧かなんかに関係があるようだ。さらに分子の動ける範囲が極端に制約される個体の場合だって、熱膨張というものがあるから膨張圧というものがあるだろう。これだって分子がせわしなく動くリクトみたいな分子だったら、隣にいるわたしにせわしなくぶつかるだろう。圧を感じる。要するにリクト圧を感じる。リクト分子の移動スピードが2倍なら、2倍くらい暑苦しくなる。せわしなさが2倍になれば2倍くらいのマシマシの水圧や膨張圧を感じることだろう。で、熱とは何かを問えば、お隣の悪ガキのせわしなさ、とどのつまり運動スピードです。お隣の悪ガキども、リクトやコハルやナツキやダイが2倍のスピードで動き回るようになれば、お隣にいる私やナオリに対して、衝突度が2倍くらいに増す。暑苦しさが2倍、つまり感じる温度が2倍くらいに増す。温度の正体ね、つまり悪ガキどもの移動スピード。悪ガキどもの移動スピードが2倍になれば、悪ガキどもが私に衝突する確率が倍増してしまうんです。ということで、熱とは何か、悪ガキどもの移動スピード、を、その暑苦しさを私が熱として感じているわけです。時間イコール熱、熱イコール悪ガキどもの移動スピード。結局のところ、時間というのは物の移動スピードということになります。物の移動スピードが増せば私への衝突確率が増すでしょう。この衝突確率が熱であり、この衝突確率が私の時間の正体なんです。
2025.09.11 03:22

ターミネーター

 カルロや朝永振一郎さんといった一流の物理学者が熱の拡散が唯一の時間の正体であると言っており、しかも世界中の物理学者たちも異論なくそうだと言っているようなんです。ま、そうなんだね、ということで今しばらく素人の私は分析を続けてみます。さて熱、つまり温度なんですけど、子細に考えると温度、つまり摂氏40度とか華氏18度とか何を指し示しているのだろうか。つまり、温度というものを子細に突き詰めると、何か温度というものが直接に独立にあるわけではなく、それは物質の動き回り具合であるということのようです。熱風というのは空気分子が活発に動き回っているさま、冷風というのはクーラーから出るおとなし目の空気分子の一団が出ているんです。熱風も冷風も同じ空気。ただ熱風はやんちゃなコハルやリクトみたいな悪ガキの活発に動き回る空気分子の一団で、冷風は私やナオリのような物静かな空気分子の一団であるというわけです。この同じ空気分子のやんちゃ加減やおとなし加減を温度、つまり摂氏何度とか華氏何度とかと言っているわけです。つまり温度といった何かのものがあるわけではなく、忙しいやんちゃ、とか、いるんかいないのか分からんぐらいおとなしいな、といったムード、状態のことを指しているんです。ものはいっしょです、空気、空気分子です。せわしない空気分子は熱風と呼ばれ、おとなしい空気分子は冷風と呼ばれます。
 サウナの中にいると熱い、温度が高い。これを分子運動ふうに言い換えると、分子振動、震え、です。貧乏ぶるいしている、すなわち足を常にガチャガチャさせている、いつも身体をじっとしていない、せわしなく動かしているコハルやリクトのような空気分子か、あるいは、じっとした佇まいの私やナオリのような空気分子かという違いです。この空分子のガチャ度のことを温度と言っているわけで、ほんとは熱くない。ガチャ度を人間が熱いとか寒いとか感じたまま言っているだけでほんとは客観的には熱くないし冷たくない。映画のターミネーターのように熱した溶鉱炉の中もほんとは熱くない。熱いとか言っているのは人間だからだ。猫だからだ。小鳥だからだ。われわれがターミネーターなら、熱いという感覚はなく、熱という概念も持たず、ひいては、ターミネーターとして時間の矢を確信することもない。かな?。
2025.09.10 09:00

冷めたコーヒー

 さて、時間は人それぞれ、物それぞれ、空間それぞれ、という点はそうかもしれない、相対性理論を是とする以上は仕方ない。時間の共通通貨である単一スピードの共通の宇宙時間はあきらめるのが自然の流れかもしれない。時間のテンポ、スピードは異なれど、ヒト、モノ、空間場所それぞれかもしれないが、しかし過去現在未来というふうに流れるという意味の時間、は皆に共通しているのではないだろうか。
 そこで鉄板であるそのような時間の矢の確信は、どうしてわれわれ人間は鉄板に直観するのだろうか。カルロは熱、すなわち温度といい、朝永振一郎さんも著書の中の「鏡の中の物理学」でそのようなことを言っています。つまり熱いコーヒーを眺めていたら自然と冷めてゆくその様子を見て時間の矢を直観するものだと言っています。飛び跳ねるボールのバウンドが徐々に小さくなって最後には止まってしまう様子、つまりバウンド直下の地面に摩擦熱でボールの運動エネルギーが奪われてゆく様子に、時間の矢を感じるんだと言われています。過去現在未来という時間の矢の正体は熱移動だと言っています。しかもこれだけだと言っておられるんです。

 どうでしょうか?。
2025.09.09 06:02

ミニトマト

 ミニトマトを家庭菜園したとしたら、それがいい時期に栽培を始めたとしたら、たとえばベランダで。たいてい2か月くらいで実がなるそうです。わたしが地球で育てたら2か月でかわいらしい実がなる。あなたが月で育てても2か月で実がなる。彼が火星で育てても2か月で実がなる。多少、温度や日光で差が出るだろうけど、そこは人工照明やエアコンなんかで同じ条件に調整したとしましょう。2か月で、そう2か月でみんな実がなる。しかし、その2か月がそれぞれ異なる。時間のスピードが違うからである。月の2か月は、地球から見れば、地球時間の1か月であったり、火星時間の2か月は地球から望遠鏡で覗いて観察したら、地球時間の1週間くらいであったりする。地球から望遠鏡で覗いてみると、つまり地球時間で観察すると、月のミニトマトは月では地球時間の1か月で、火星では地球時間の1週間でミニトマトの実がなる。しかし、それは地球時間でながめてのことで、月にいる彼も月のミニトマトもしっかり月時間の2か月を経験して収穫と相成っています。火星の彼女もしかり。しっかり火星時間の2か月の栽培期間を経験しているのです。あなた自身が月の彼だったとしても、あなたもあなたのミニトマトも、しっかり月で2か月を経験しているのです。またあなたが火星の彼女だったとしても、しっかりと火星で2か月を経験しています。そしてその月や火星のそれぞれの2か月の栽培記間を、地球から望遠鏡で見ているあなたは、地球で1か月の観察期間しか経験しないし、地球で1週間の観察期間しか経験しません。
 この宇宙の時間の進み具合、お分かりになられたでしょうか。人生いろいろ、男もいろいろ、時間もいろいろ~♪、ってことでした。共通通貨である単一の宇宙時間はどこへいったのでしょうか、探しに行きましょうね。共時間、共存在、探しに参りましょう。
2025.09.08 06:05

二十億光年の孤独

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(あるいは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

出典 :谷川俊太郎


ということで、けっこう、今何してる?、は難しい。
共時間の共存在は原理的に難しいわけです。孤独をかみしめてほしいわけです。

 でも、各々の時間は伸びたり縮んだり、で共通のきっちりとした固定した伸び縮みのしない宇宙時間の中、を考えることは難しいんだけれど、各々の時間のスピードは異なっていても、過去、現在、未来という時間の矢の中にはいるだろう。これぐらいでがまんしてもいいかもしれない。伸び縮みのしない宇宙時間を考えることはあきらめても、過去現在未来という矢といった共通項としての時間は共有しているんだ、と自分を慰めたくなる。はたしてそうだろうか。
2025.09.07 14:04

ただ今

 時間はあるにはあるが、存在するには存在するが、われわれの鉄板の確信とは異なっているようだ。腕時計や、テレビの時報は伸びたり縮んだりはしない。地球上の時間も、月面上の時間も、アンドロメダ星雲の時間もおんなじ時間を刻んでいるはずだ、おんなじ宇宙時間のはずだ、同時刻のはずだ。この今という現在時刻に、地球も月もアンドロメダも、この同時刻に存在しているはずだ、共時間のこの一瞬に同時に共に存在しているはずだ。と、そう思っている。しかし、相対性理論をしぶしぶ認めたので、地球時間の24時間と、月面時間の24時間と、アンドロメダの24時間は、その長さが違う。例えば月時間の24時間は、地球時間の25時間であったり、アンドロメダの24時間は、地球時間の48時間であったりする。ある一瞬を、せーので同時刻としたとする。地球も月もアンドロメダもこの一瞬の今を同時刻であると、みんなで互いに確認した、確認できたとしましょう。地球で25時間経過した瞬間に思い出そう、月にいる彼女は僕たちの過去のあの共時間、共存在の瞬間から月で24時間を経た、とともに地球で25時間経過した、私たちの今、宇宙時間の今に共に生きている。おっと、アンドロメダの彼氏の今も気にしよう。計算は各自でお願いします。
 今やんか、今何してる。そう今、今のことやで。ただの今。けっこう複雑。
2025.09.06 05:40

はじまりは

 はじまりは、ふつうのわれわれからだ。普通の日常生活をおくる普通のわれわれ、これが時間はないの旅のスタート地点である。わたしは、時間の中でどっぷりとつかっている。腕には時計をしているし、カバンにももう一つ時計を取りつけている。おや、携帯電話の画面にも時刻が表示されている。遅刻を嫌う仕事なので時刻には神経質な日常を送っている。こんな私が時間は存在しないなどというのはばかげている。実にばかげている。ここがスタート地点なのだ。
 さて、私は義務教育を受けているので、理科や化学、物理や生物などを少し知っている。高校2年生くらいまでは普通の学生をしていたので、まあまあ知っているのだ。そこで、相対性理論とやらも少し知っている。なんでも、月や地球に近いところでは時間がスロモーになるそうだ。正確にいえば質量に近づけば近づくほど時間は遅れる。また、早く動けば動くほど時間は遅れる、スロモーになる、ということだそうだ。①重さに近づく、②早く動く、とその人の時間はゆっくりと進む。これがノーベル賞をもらったアインシュタインの相対性理論である。ただそれだけのことなのだが、へー信じられないや、とすましてはおれない。これを計算入れてわれわれの普通の日常生活が組み立てられているのだ。相対性理論を認めなければ時計は狂うし、携帯もならない。新幹線もストップするし、飛行機も飛ばない。月旅行に行った宇宙飛行士の乗ったロケットも地球に戻れなくなる。パソコンもただのガラクタ、という生活に逆戻りするそうだ。でね、相対性理論、認めなくてはならんだろう。いくら私が頑固でも。
2025.09.05 06:24

願わくば花の下にて春死なん(西行)

 さていよいよの気がします。春死なん、がいよいよじゃないよ、勘違いしないでね。私の場合は、まだまだなんだけどね、すべきことがいっぱいあるので、まだまだなんだ。いよいよというのはカルロの時間は存在しない、についてだよ。考えがまとまって、イメージがまとまったんだ。もう読書は、カルロについては終わったんだ。次に移ります。次のテーマは社会保障についてです。でね、カルロについては、時間はないに大いに同感しています。ぼくの頭はコペルニクス的転回を経験して相当ショックを受けました。いいショックなんだろうか、みなさんにも経験してもらおうと思い、このテーマをまとめて、終えることにいたします。カルロについては物理学を復習し、リサランドールやジュリアンバーバーを読み、ハイデガーの存在と時間も復習いたしました。数学のゲーデルの不完全性定理も頭にあります。それにしても、カルロは群を抜いていた。その結論も尊敬に値する。で、僕の理解したところを、もちろん素人頭なんだけど、僕の言葉で書いてゆきましょう。ぼくの頭で、僕の言葉で書いてゆきましょう。このコペルニクス的転回は、ぼくにとっては宝物になりました。ダイヤモンドよりも価値があった。
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